小日和田集落から信州木曽を結ぶ重要な道が鎌倉街道です。地元の保存会により整備されていて気軽に散策できるようになっています。
駒掛岩近くに木曽義仲が陣を敷いたとき、腰掛けて休息したと伝わる約2m四方の平らな2つの岩のこと。
このうち1つは同行した女武者の巴御前(ともえごぜん)が腰掛けたとも伝わる。
旧街道筋にいかにも坐り心地のよさそうな平らな大きな石が並んでおり、一目につく岩である。
全国各地から霊峰御嶽山を目指した信者たちの玄関口の役割があった御嶽4門のうちの1つで、「菩提門(ぼだいもん)」があった。
初めて御嶽山の神容に接することができる場所が4門あり、そこにそれぞれ遥拝所が設けられており、「御嶽大権現の碑」が御嶽山に向かって建てられていた。
この場所は眼前に御嶽山、北方に乗鞍岳、東西に飛騨と木曽の山並みを一望できたが、現在は樹木が生い茂り、眺望ができない。
御嶽大権現碑など3体と長峰峠茶屋の開店の際の馬頭観世音菩薩などがある。
この場所は長野県側(木曽郡木曽町開田高原西野)にあり、嘉永4年に旧日和田村(岐阜県)と旧西野村(長野県)の御嶽教信者等が御嶽遥拝所を再興し、「御嶽大権現碑」を建立した。
長峰峠頂上付近の木曽義仲の駒掛岩
1体
平安時代末期の武将木曽義仲が平家討伐にあたり、義仲挙兵(養和元年:1181年)の地の木曽の日義村から進軍して第一夜の陣を張った場所がここ長峰峠である。
その時、義仲の乗馬が勇みかかったときにできたと伝わる3つの蹄型のくぼみと1つの穴がある。ここにたまった雨水でイボを洗うとよく落ちるといわれる。