長峰峠を通る旧鎌倉街道の起点で木曽街道を旅する人は必ず通る場所です。かつては合戦の舞台になりました。春、山梨の花咲く頃の遠望はさしずめ桃源郷です。
森越八幡神社は明治41年10月に日和田の一位森八幡神社に合併され昭和21年2月に分祀となったが、現在も合併中の慣例を継いで一位森八幡神社の御旅所として祭りを執り行っている。
境内に続く参道脇には、馬頭観世音菩薩を中心とした16体の石仏群が祀られている。
かつて元亀3年(1572年)の飛騨の三木氏と木曽の山村氏との大合戦で多くの犠牲者がでて、負傷者が救いを求めて小日和田の民家にたどり着いた。
その多くが亡くなったため、小日和田集落で死者を手厚く葬り、塚を築いて供養した。
明治の中期頃にこの千人塚の墓標が建てられた。
小日和田森越八幡神社から市道を上流に進んだ道路脇に12体の石仏が祀られている。
馬頭観世音菩薩のほか、十一面観世音菩薩碑、大日如来像、薬師如来像など多種類の石仏であり、いずれも市道に背を向け、御嶽山の方向を向いている。
十一面観世音菩薩碑や薬師如来像は日和田地域では大変珍しい。
十一面観世音菩薩を現した石仏はなく、その石碑が祀られている。
小日和田森越八幡神社から市道を上流に進んだ民家の横に5体の石仏が祀られている。
日和田地域では珍しい、三面八臂(3つの顔と4対の腕)馬頭観世音菩などの馬頭観世音菩薩と道祖神が1体祀られている。
小日和田の民家前の市道を挟んだ畑地に4体の石仏が祀られている。
小日和田の民家前から80mほど進むと、奥山へつながる山道がある。
この奥山はかつて牧場であったことから、その山道の入り口の左脇に馬頭観世音菩薩を始めとする8体の石仏が、ひっそりと祀られている。
かつて元亀3年(1572年)の飛騨の三木氏と木曽の山村氏との大合戦で多くの犠牲者がでて、負傷者が救いを求めて小日和田の民家にたどり着いた。
その多くが亡くなったため、小日和田集落で死者を手厚く葬り、塚を築いて供養した。
明治の中期頃にこの千人塚の墓標が建てられた。
小日和田の森越八幡神社から市道を下った民家横のイチイの木の横に、地蔵様が1体ひっそりと祀られている。
ここはかつて旧街道があったところで、その街道沿いに祀られている。
小日和田の森越八幡神社から市道を下った民家横を超えた市道脇の畑地に馬頭観世音菩薩など4体の石仏が祀られている。
うち1体は台座のみが残っているのみである。
小日和田市道と国道361号の合流する場所に地蔵菩薩が1体祀られている。
森越(もりこし)八幡神社境内の石仏
5体
森越八幡神社は明治41年10月に日和田の一位森八幡神社に合併され昭和21年2月に分祀となったが、現在も合併中の慣例を継いで一位森八幡神社の御旅所として祭りを執り行っている。
境内には、両手で剣をついた珍しい女神像の天照皇大神像や不動明王(明治34年:1901年)の他、山の神の社が祀られている。