日和田高原は飛騨に在っては異郷の地であり、信州木曽との国境に位置し歴史・文化・風俗に至るまで木曽の影響を色濃く残しています。
霊峰御嶽山の麓に太古より悠久の時を刻みながら、人々は山を愛し敬い恐れる素朴な山岳信仰が背景にある事と、江戸時代になり木曽から禅宗が馬大尽の原家を介して伝わり、その影響と財力・指導力も手伝って石仏が信仰の対象として多く彫られました。
特に秀逸な石仏は信州伊那の石工の作です。600体余りの石仏の多くが素朴な馬頭観音像であり、日和田では馬と人が同居し家族の一員として大切にされ、産まれる馬の生長と、亡くなった馬の供養のために特に至る処に祀られています。
隣の開田高原には石仏が1900体も有り現在でも御嶽信仰が続いています。
なお、石仏は石塔(墓碑)とは異なります。