飛騨高根 天空の里 日和田高原 石仏めぐり散策マップ「日和田エリア」

飛騨高根 天空の里 日和田高原 石仏めぐり散策マップ「日和田エリア」
 

日和田エリア(No.1〜17)

1,200m〜1,300mの高地ですが、信州と飛騨の交通の要所です。 比較的長い日照時間と平地が多いため集落が形成されてきました。旧原家をはじめとする趣ある歴史にふれられる地域です。

赤丸の番号をクリックすると各石仏の詳細が見られます。

日和田エリアマップ No.1 No.2 No.3 No.4 No.5 No.6 No.7 No.8 No.9 No.10 No.11 No.12 No.13 No.14 No.15 No.16 No.17

大山祇命碑(おおやまずみのみことひ)

1体

大山祇命碑(おおやまずみのみことひ)

大山祇命は、海上守護神、農業守護神、武神として信仰されてきたが、最も一般的なものが「山の神」で、この地でも石碑として祀られている。

昔は、日和田集落から開拓集落の池ケ原へつながる旧街道脇の天然桧の古木に祀られている。

 
 

下村(しもむら)祭場の石仏群

16体

下村(しもむら)祭場の石仏群

秋葉大神・愛宕(あたご)大神、保食大神(うけもちのおおかみ)碑、馬頭観世音菩薩など16体の石仏が祀られている。

中でも目を引くのは、中央の「一石火防神並立像」は火防ぎの神である愛宕大権現と秋葉権現が祀られており、高さ168cm、幅130cm、奥行き35cmの大きさである。

聖観世音菩薩(しょうかんぜのんぼさつ)や弘法大師像などもあり、明治21年~27年にかけて建立された。一位森八幡神社祭礼の祭場である。

 
 

下村(しもむら)防火水槽土手下の水神

1体

下村(しもむら)防火水槽土手下の水神

下村祭場から少し上った農道脇に1体の水神が忘れられたように静かにたたずんでいる。

日和田では珍しい、水神の石仏である。

安全祈願と水害・旱魃(かんばつ)を防ぐために祈りを込めて祀られる。

 
 

血取場(ちとりば)の石仏群

66体

血取場(ちとりば)の石仏群

かつて家族の一員であった馬は大切にされ、春と秋に二度爪切りと血取をした。馬の首の静脈に「刀針」を刺し、血を噴出させることで馬は丈夫になるとされた。「血取場」の名前の由来となった場所であり、必ず馬頭観世音菩薩が祀られている。

「一石三十三観世音菩薩」を中心に馬頭観世音菩薩など、66体があり、とりわけ明治25年5月建立の「一石三十三観世音菩薩」は高さ232㎝、幅220㎝、最大厚54㎝の巨大な一枚石に阿弥陀三尊を上部中央に配置し、33体の観世音菩薩が彫られ圧巻である。

昔は5月にこの場所で「馬頭祭」が行われた。

 
 

血取場後山の石仏群

18体

血取場後山の石仏群

日和田には小日和田につながる「前坂峠」と、集落の後山を越えて野麦街道に出る「後ろ峠」があり、この街道は鎌倉時代の木曽義仲の頃に利用され、高山城主の金森氏がここを大道に指定してから、江戸行きの本街道となった。

そのため、16体の石仏が祀られているが、ひと際目立つのが「馬頭観世音菩薩、釈迦如来、高王白衣観世音菩薩」の三像であり、その中心に位置する「馬頭観世音菩薩」は蓮の花の台座に立ち、日和田地域には珍しい忿怒の相で祀られており見ごたえがある。日和田での釈迦如来像は珍しい。

ここは後山の頂上で、かつては眼前に霊峰御嶽山の素晴らしい眺望が楽しめた。

 
 

旧鎌倉街道沿いの石仏

2体

旧鎌倉街道沿いの石仏

祠に祀られた右側は田の神である。稲作の豊作を祈る神で、稲霊は巫女であるので、女神像が多い。

宗教政策の干渉を受けることがなかったため、自然に成長した信仰である。

原家が10町歩余りを開田をした際、豊作祈願として祀った。祠に祀られた女神像は貴重である。

左の石仏は、馬頭観世音菩薩である。

 
 

ナタギ沢の石仏群

23体

ナタギ沢の石仏群

日和田の石仏は、昔から街道筋に祀られることが多いが、ここは街道筋ではない。

かつて、血取場からここナタギ沢一帯は馬の放牧地であったことから、馬頭観世音菩薩を中心に、如意輪観世音菩薩など23体の石仏が祀られている。

 
 

旧延命地蔵堂跡の石仏

6体

旧延命地蔵堂跡の石仏

ここは、元々原家の屋敷続き東の畑地にあり、原家が寺子屋として使用していた延命地蔵堂があった場所で、地蔵堂の前に6体の石仏が祀られていた。

平成17年に延命地蔵堂が別の場所に移設されたため、元々あった石仏だけが残っている。

写真左から3つ目の石仏は、顔が3面、手が4対ある日和田地域では唯一の三面八臂の像である。

立像が多い馬頭観世音菩薩にあって、珍しい坐像である。

 
 

原家の石仏群

19体

原家の石仏群

大馬親方であり大地主でもあった原家は、木曽馬の馬小作制度で財を成し、小作地が日和田・小日和田の他、長野県木曽の村々にまで及び、木曽での馬市には日和田から木曽福島までの38㎞を他人の土地を踏まずに行くことができた。

最盛期には親馬1700頭、小作馬を合わせると3000頭もの馬を所有し、60人余りの石工や土方をする人が住み込みで働いており、19体の石仏が祀られている。馬に乗った騎座金剛界大日如来(明治36年:1903年)は、非常に珍しく真言宗では最高の仏である。

その他の石仏は、文化10年(1813年)、文政8年(1825年)、天保13年(1842年)に建立された。

 
 

原家屋敷跡 靴脱ぎ石

2体

原家屋敷跡 靴脱ぎ石

馬大尽として栄華を極めた原家は、明治初期に大改造され、敷地は357坪、延坪は母屋(2階建て)が176坪、離屋36坪、厩舎は96坪もあり、離屋は地下1階、地上2階建ての規模を誇った。ほかには倉庫数棟あり、蔵には年貢籾が1000俵あったといわれている。眼前の日和田川には直径約5.5mの水車が11棟もあった。

現在は宝来門(明治39年)を中心とした外門だけが残り当時を知る由もないが、母屋に入るための巨大な靴脱ぎ石が2体残っており、当時を偲ばせている。

 
 

原家横の石仏

1体

原家横の石仏

原家の横の市道脇にひっそりとたたずんでいる。

馬頭観世音菩薩が1体祀られている。

 
 

延命地蔵堂(放光庵)の石仏

3体

延命地蔵堂(放光庵)の石仏

延命地蔵堂は、元々原家の屋敷続き東の畑地にあり原家の寺子屋として利用され、間口4間半・奥行4間の立派なお堂であった。

現在のお堂は、平成17年に移設され、ご本尊は極めて温和な容姿の金箔仕上げの木造仏で第一級の作りである。

かつて日和田には4つのお堂があったが、現在はこの延命地蔵堂と聖観世音菩薩を祀る観音堂が形を変えて残るのみである。

 
 

一位森(いちいのもり)八幡神社境内の石仏等

13体

一位森八幡神社(いちいのもりはちまんじんじゃ)境内の石仏等
縁結びのご神木

樹齢600年以上、幹周り3mを超えるイチイのご神木やケヤキの原生林大小250本が境内に樹生し、200本余りのイチイの原生林は国指定天然記念物である。境内には御嶽大神、金毘羅・愛宕・秋葉三神をはじめ、天照皇大神や御嶽山を開山した覚明霊神・普覚霊神像など13体が祀られている。

境内上段には山の神を祀る立派な小社が三社ある。一位森八幡神社の起源は、養和元年(1181年)、木曽義仲が飛騨に侵攻してきた時に、源氏の氏神である八幡大神を当地に勧請し、戦勝祈願をしたと伝わる。

ご神木のイチイの巨木のご利益が高い「一位を授かる神社」として高地トレーニングエリアのパワースポットや「縁結びのご神木」としても脚光を浴びている。

 
 

一位森八幡神社横の石仏群

17体

一位森八幡神社横の石仏群

一位森八幡神社境内に隣接した畑地の脇に馬頭観世音菩薩を中心に17体の石仏が祀られている。

 
 

原家先祖代々の墓下の石仏

2体

原家先祖代々の墓下の石仏

原家先祖代々の墓が並ぶすぐ下のイチイの木の袂に2体の馬頭観世音菩薩がひっそりと祀られている。

明治40年の銘が彫られている。

 
 

埴山姫大神(はにやまひめのおおかみ)の石仏

3体

埴山姫大神(はにやまひめのおおかみ)の石仏

五穀豊穣を願って祀られている。

以前は、原家から前坂峠の街道の橋の袂にあったが、道路改良に伴い、民家裏手の畑地の脇に移設されたもの。

田畑の開墾の守護である。

 
 

日和田下三の石仏

5体

日和田下三の石仏

民家の前に5体の石仏が祀られている。中央の一番大きい石仏は保食神(うけもちのかみ)である。日本神話に登場する食物の神様で、女神と考えられている。

古事記には登場せず、日本書記のみに登場する神である。

日和田は標高が高く、寒冷地であるため昔から「食」への敬いも強い。